ほめることと、ありがとうをもっと届けたい。

What is up? This is moeyan.

こんにちは、もえやんです。

セブは冬でも30度くらいを保っています。暑すぎか。

私は冬が好きなので、日本が恋しいです。年末に帰るのが楽しみです。

 

今日は少し前から大事だなぁと思っている、「ありがとう」と「ほめること」について書いてみようと思います。

「べき論」では動かない世の中

私は元来、「〜すべき」であるという「べき論」を述べがちなタイプです。
(そんなタイプあるのか)

“合理的に考えて、こうしたほうがいいじゃん。だからこれをすべき!”みたいな。

 

自分でいうのもアレですが、私は行動力と実行力が突き抜けて高いんですよね。
何かをやりぬく・遂行するということが得意で、強みでもあります。

でも逆に言うと、それができない人の気持ちはなかなか理解ができなくて、「合理的に考えてこれをすべきなのになんでやらないの!」ってなります。

みんな合理的には理解できるものの、そのとおりに行動できていたらもっとたぶん世界は上手に回って。
人間である以上やりたくないなって感情だったり、めんどくさいなって思いが乗っかってくるわけですよね。そりゃべき論じゃ動かないわ。

 

「叱る」ことの功罪

私は叱られて伸びてきた人なんですよね。

一方で継続すること、やりぬくことは私の父が得意で、馬力ある女子に育ったという感じ。

 

幼き頃の私(大学時代〜社会人2年目くらい)は、同様にすればどんな人も伸びるだろうな、と考えていたわけです。

しかし「叱る」行為はリスクが多くあって

  • 叱られないように振る舞うようになる
  • 失敗したくなくなる
  • ゆえにリスクが取れない
  • ゆえに新しいことに挑戦しない
  • 叱られる事案を隠そうとする

などなど。

超持論ですが、大きい声で叱責されて育ってきた40〜50歳のおじさまたちは、こういう人意外と多いんじゃないかなと思ってます。
(私は前職も現職もおじさまがいないので、旦那様の職場話からこう思っています)

与えられすぎて”欲しくもないのにほしいと思わされているもの”を掴もうとする若者たちが、
そういう人たちに怒られると、「じゃあやーらない」ってなるわけです。

 

昔の私と一緒ですが、みんながみんな怒られて育つわけではないし、時代によっても「怒られて伸びる人」が多いかは変わってくるのだと思います。

 

「称賛」と「想い」が人を動かす

最近はこれを強く思います。

誰かが何かをしてくれて失敗やミスをしたとき、「やってくれたことのすべてがだめになってしまう」と思う社会でありたくないなと。

やってくれたときに失敗やミスがあっても、やってくれたことのすべてが失敗やミスに当たるわけではない
と気づいてから、私は最近は以下を大事にしてます。

  • まずはやってくれてありがとう
  • この部分はとてもいい、なぜなら〜
  • 一方でこの部分は改善の余地あり
  • どうやったら次改善できるか一緒に考えよう

ありがとうと褒めることは、どんなときでもセットで伝えるようにすると、相手も”構え”を辞めてくれるし、伝えたことが伝わりやすいなと言う実感値があります。

 

たぶんお仕事だけじゃなくて、家族や友人との関係でもそうですよね。
感情が大きく乗りやすいぶん、ビジネス外でこれをやり続けるのは難しいですが…!

ということで、今日も感謝と称賛ができましたか?明日はもっとできるといいですね。

 

以上、もえやんでした。Peace!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です